運動会の撮影に行った某小学校に有った。二宮
金治郎の像。
背中に薪を背負い、歩きながら本を読んでいる。これが一般的なスタイルだと思う。
これが歩きスマホを肯定しているように見えて危ないから、薪を背負った金治郎が座って本を読んでいる像が建てられた、てな事が以前話題になっていた。
金治郎も座ってしまうとその像の仕事中の移動時間を活用して勉強する姿の勤勉さを表し伝えるという意味が削がれる気もするけど、歩きながら本を読むなんて危ないじゃないか! という意見は実はスマホ時代よりずっと前から有ったらしい。
それはそうだなとも思う。
そもそも、金治郎君が歩きながら本を読まなければいけなかったのは時代なり家庭なりの事情があったからで、小学校で美談として教わった雪明りとか蛍の光で本を読んだなんて話も要は貧乏とか扶養者のケチがそうさせたという今聞くと可哀そうな話だ。
貧乏な家庭で勉強時間や場所が確保しづらいというのは、現代でも切実な問題なのかもしれない。橋本駅に有る市の施設や図書館には机が有って学生が勉強に使えるようになっているのだけど、通りがかると、多くの学生がそこで勉強しているのが見える。
今そうやって困難を創意工夫で克服して勉強している人の中には、将来社会にものすごく貢献して有名になる人もいるのだろうなと思う。
その人が図書館で勉強する姿というのは像にしにくいだろうけど。
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