2017/09/28

歩き読書の二宮金治郎


運動会の撮影に行った某小学校に有った。二宮金治郎の像。
背中に薪を背負い、歩きながら本を読んでいる。これが一般的なスタイルだと思う。

これが歩きスマホを肯定しているように見えて危ないから、薪を背負った金治郎が座って本を読んでいる像が建てられた、てな事が以前話題になっていた。
金治郎も座ってしまうとその像の仕事中の移動時間を活用して勉強する姿の勤勉さを表し伝えるという意味が削がれる気もするけど、歩きながら本を読むなんて危ないじゃないか! という意見は実はスマホ時代よりずっと前から有ったらしい。
それはそうだなとも思う。

そもそも、金治郎君が歩きながら本を読まなければいけなかったのは時代なり家庭なりの事情があったからで、小学校で美談として教わった雪明りとか蛍の光で本を読んだなんて話も要は貧乏とか扶養者のケチがそうさせたという今聞くと可哀そうな話だ。

貧乏な家庭で勉強時間や場所が確保しづらいというのは、現代でも切実な問題なのかもしれない。橋本駅に有る市の施設や図書館には机が有って学生が勉強に使えるようになっているのだけど、通りがかると、多くの学生がそこで勉強しているのが見える。

今そうやって困難を創意工夫で克服して勉強している人の中には、将来社会にものすごく貢献して有名になる人もいるのだろうなと思う。
その人が図書館で勉強する姿というのは像にしにくいだろうけど。

2017/09/26

息は鼻の穴から

自分にとって秋はなぜか鼻炎の季節だ。
鼻水が出ているわけでもないのに、鼻で息が出来なくなる。
その時はもう本当に辛くて、力いっぱい吸っても吐いてもシューシュー音がするばかりで、空気は呼吸に足りるほどには通ってくれない。

でも最近、それでも頑張って鼻から息を吸ったり吐いたりしていたら、そのうち息が出来るようになってきた。原理は分からないけれど多分、鼻が詰まっていると呼吸が出来ない! どうしよう! と体が自分で思って、血流とか免疫とか使えるものを使って対処した、という事だと思う。

普段無意識で行っている呼吸に意識を向けるというのはつまり、頭のどこかが常に意識のスイッチON状態ということだ。
これは、姿勢や立ち居振る舞いを正すとか、いつも(作り)笑顔を心掛けるとか、そういうのに似て、良くも悪くも人の性格をちょっと変える気がする。
個人的には、悪い意味でのこだわりが薄れて、物事に対して事務的にして合理的かつ打算的に対応する割合が強くなったような感じがする。

2017/09/20

タイヤ公園


古タイヤを使って作られた巨大なオブジェのあるこの公園は、東海道本線の線路脇、蒲田駅の近くにあった。

この、今は間違いとされるクラシックなティラノサウルスの立ち姿的オブジェの腕の先にはプラスティックで出来た手が付いているのだけど、これが人間の手みたいで妙におかしい。

なぜこんな手が付いているのだろう?
このオブジェをデザインしたのは市役所の人で、モデルは知り合いのおばはん、とか、そういう話ではないだろか?

2017/09/11

突然の贈り物


数日前、家に居たら突然視界が左から右に流れはじめた。
それはもう激しい目まいで、頭を自分が取れる姿勢の限りの一番下に置いたままその場を動けない。

あんまり苦しいので、このまま倒れてしまって気づいたら超能力者になっていて、世界の悪党と戦うはめになるのではないかと心配した。
しかし、幸い寝ていたら大体治って、次の日一日ちょっと気持ち悪い位で済んだ。
健康は有り難いと改めて思う。

何であんなに目まいがしたのだろうって話していたら奥さんが、太陽フレアのせいじゃない? とか言うのだけど、伝書鳩じゃないんだから。