2017/06/19
もす vs. もやす
これは、小田原のごみ置き場の看板。
文字が3Dでビヨーンと飛び出したりして、昔のワープロソフトで作ったみたいなデザインがカッコイイ。
しかし、可燃が「もせる」と表記されている事には正直ちょっと驚いた。普通は「もやせる」って表記するだろうと思って、でも調べてみると実はどちらでも良いらしい。
(加えて述べれば 「もす」は実際に物を燃焼させる事にだけ使い、「もやす」は物以外にも抽象的な、例えば闘志とか嫉妬とかをかきたてる事にも使うという違いが有るとの事)
とは言え私は小田原の人に、一般には「もす」より「もやす」の方が通りが良いと教えたい。
例えば昼休みに 「マックに行こうよ」 と言われたとして、
「うーんいいけど、どうせならモスにしない?」
とか答えると、意味は分かるかもしれないけど、分からない人はやっぱりちょっと考える。
小田原を出たなら、モヤスバーガーと言ったほうがよく伝わるから覚えておいて欲しい。
2017/06/10
光源は大切
台所の蛍光灯が切れたので取り替えたのだけど、これがどうにも色が悪い。
一応白い物は白く見える。
だけど、その他の色は何を見ても暗くくすみ、まるで表面に当たった光がどんどん吸収されてしまうかの様に変な色に見える。(本当は単にその波長の光があんまり出ていないという事なのだけど)
なのでこの台所で調理中の食材は、肉も魚も野菜も果物も、本当に美味しく無さそう。
この蛍光灯を買う時奥さんが、「一番安いのでいいわ」とか言うので買ったのだけど、これ多分団地の階段用だよ。
一応白い物は白く見える。
だけど、その他の色は何を見ても暗くくすみ、まるで表面に当たった光がどんどん吸収されてしまうかの様に変な色に見える。(本当は単にその波長の光があんまり出ていないという事なのだけど)
なのでこの台所で調理中の食材は、肉も魚も野菜も果物も、本当に美味しく無さそう。
この蛍光灯を買う時奥さんが、「一番安いのでいいわ」とか言うので買ったのだけど、これ多分団地の階段用だよ。
やんぬるかな安価なプリント
先日ウチの奥さんが、最近まで通った講座の会社から、最終日に皆さんと撮った記念写真を頂いた。写真を貰うのは記念としてとっても嬉しいし、集合写真は上手に良く撮れていると思った。
でも、プリントはあんまり綺麗では無く率直に言って補正の掛け過ぎで、線は太く、暗部は持ち上げ過ぎと言う印象を受ける。
撮影にはデジタル一眼レフが使われたとの事だけど、折角のデータも、この仕上げではコンパクトデジタルカメラと変わらない。
これは多分、プリント時に自動的に補正が掛けられているのだと思う。
こういう大切な写真を複数枚プリントに出す時には、ちゃんと人がいて仕上がりを相談できる、カメラのキタムラ等の写真屋さんがいいと思う。料金はちょっと高くなったとしても、それだけの価値は有る。
2017/06/08
本は自分自身を表す
今日久しぶりにアリオ橋本の書店を覗いたら模様替えがされていた。
店内には私の大好きなスカルラッティのソナタが流れ、併設される事になったターリーズカフェには何と! 購入前の本を持ち込んでそこで読む事が出来る制度が施行されている。
今時の本屋は凄い努力をしているのだなと思う。
しかし、写真集のコーナーを見てみると、それが、悲しいかな品揃えが極めてショボい。
一応、荒木 経惟とか梅佳代とかは有るのだけど、でもそれ以外は猫の写真とか観光地の風景斜視とかで、(それが悪いとは言わないけれど) はっきり言って改装前の方が刺激的だった。
本屋に関して述べると、渋谷や六本木の本屋の方が品揃えは断然宜しい。欲しいものが見つかるし、その上その本の隣には次々自分の知らなかった良い本が見つかる。もう、買いたい本が沢山有り過ぎて過ぎて幸せいっぱいって感じになるのだけど、それが本屋ってものじゃない?
世間にはもっと素敵な本がいっぱい有る筈なのに、コーナーの担当者のせいか、それとも橋本という土地柄に最適化されたセレクトなのか・・・
本屋と言えば、最近気になるのはミニマリストとか断捨離とか、とにかく自分の持ち物は捨てろという風潮で、あれはどういう事なのだろう。
本棚と言うのは単なる捨てても良い物が詰まったゴミ箱では無い。本棚は自分を作って来た過去そのものだ。そしてそのうち自分の許せるもの、つまり現在の自分自身を表しているものだ。
また本を買うという事はその人を拡張するという事で、例えば新しく写真集を買ったとして、それを本棚に収める事それはつまり、自分自身の外延を拡張する行為なのだと思う。
本を買うという事、それを本棚に収めるという事、これを否定するやつは人間を否定しているのだと思う。自分の価値観でしか世界を見られないやつには、少なくとも他人の人生に口出しをしてほしく無い。
それから本屋はアホ達におもねるのではなく読むべき本、見るべき本を並べて欲しい。
2017/06/07
液体調味料のカクテル
ウスターソースとトマトケチャップとマヨネーズを混ぜている。
今夜のトンカツ用。
このミックスを知らない人にこの味を説明するのは、しかし簡単だ。
味は正に今あなたの頭に浮かんだ通り!
「イタリア人はいつもイギリス人を何にでもソースをかけて料理の味を台無しにすると言ってバカにするけど、そもそも料理にかけるソースを発明したのは古代ギリシア人つまり彼らの先祖なのだ」
とは、保存食品開発物語の一文。
何かにつけ思い出しては一人で笑ってる。
2017/06/04
ロック板、下がってますか?
今日駐車した所に出ていたこの看板、間違いとまでは言わないけれど、気になった事が2点ある。
1.×印の使い方
入庫・出庫 不可能の文言の上に×印が描かれているが、
この位置に×印を付けるのは不適切だ。なぜなら、
もし、×を否定と解釈するならば、不可能の否定となる。
そうすると、入出庫が不可能では無いつまり可能と解釈される。
また、×が不正解と言う意味なら(テストの答案はそういう意味で×印が点けられる)、
この文言は間違いである、つまり、ロック版上昇時に入出庫不可能という文言は間違い、と解釈される。
2.「不可能」という文言の用法
本当にロック版が上がっていると入出庫は不可能なのだろうか?
実際の所、オフロード車はロック版を乗り越えて走行できてしまうだろう。
(それに不可能と言われるとあえて挑戦したくなるのが男というものだ)
ロック版が上がっているという事は、車の出入りが不可能という事では無く、契約上あるいは課金システム上入出庫を許可していない事を表している、と見なす方が自然だ。
なのでここは、「不可能」では無く、「不可」とすべきだ。
文系の教育は役立に立たないとか言う奴に限ってこういう看板あるいはそれ的なものを作るのだと思う。
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