2017/06/08

本は自分自身を表す


 今日久しぶりにアリオ橋本の書店を覗いたら模様替えがされていた。
店内には私の大好きなスカルラッティのソナタが流れ、併設される事になったターリーズカフェには何と! 購入前の本を持ち込んでそこで読む事が出来る制度が施行されている。
今時の本屋は凄い努力をしているのだなと思う。

 しかし、写真集のコーナーを見てみると、それが、悲しいかな品揃えが極めてショボい。
一応、荒木 経惟とか梅佳代とかは有るのだけど、でもそれ以外は猫の写真とか観光地の風景斜視とかで、(それが悪いとは言わないけれど) はっきり言って改装前の方が刺激的だった。

 本屋に関して述べると、渋谷や六本木の本屋の方が品揃えは断然宜しい。欲しいものが見つかるし、その上その本の隣には次々自分の知らなかった良い本が見つかる。もう、買いたい本が沢山有り過ぎて過ぎて幸せいっぱいって感じになるのだけど、それが本屋ってものじゃない?
世間にはもっと素敵な本がいっぱい有る筈なのに、コーナーの担当者のせいか、それとも橋本という土地柄に最適化されたセレクトなのか・・・

 本屋と言えば、最近気になるのはミニマリストとか断捨離とか、とにかく自分の持ち物は捨てろという風潮で、あれはどういう事なのだろう。
本棚と言うのは単なる捨てても良い物が詰まったゴミ箱では無い。本棚は自分を作って来た過去そのものだ。そしてそのうち自分の許せるもの、つまり現在の自分自身を表しているものだ。
また本を買うという事はその人を拡張するという事で、例えば新しく写真集を買ったとして、それを本棚に収める事それはつまり、自分自身の外延を拡張する行為なのだと思う。

本を買うという事、それを本棚に収めるという事、これを否定するやつは人間を否定しているのだと思う。自分の価値観でしか世界を見られないやつには、少なくとも他人の人生に口出しをしてほしく無い。
それから本屋はアホ達におもねるのではなく読むべき本、見るべき本を並べて欲しい。

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